6/18 裏

1… 回想

1ヶ月前まで馬込にいた電車は、トレーラーによって搬出され、千葉県某所へ運ばれた。

 

時間的制約から陸送をこの目に収めることのできない筆者は一転、陸送後に視点を置いた。

いつもより軽めのレンズパーティを組み、知人との用事を済ませた筆者は京葉線に飛び乗る。

前々よりフォロワーの方よりいただいていた情報を頼りに、搬出先へと向かうのだ。

最寄駅に着き、いつもの緑茶を仕入れ、GoogleMapを頼りに、見知らぬ土地を歩いていく。汗も流れてきた頃、ようやっと目的地に着いた。

 

目星を付けた場所から、やつの姿を探る。しかし、視界に入るは東急8500形のみ。あの白い車体はどこだ。

 

15分ほど歩き回って、外れかと諦めかけたその時、何故かふっ、と視界に入ってきたものがあった。相変わらずスクラップの山しかない敷地をもう一度覗くと、そこに小さく、白に赤と黒の帯を認めた。

そのわずかな隙間よりようやく存在を認め、すぐさま見える位置を探り出す。

間違いない。あれは都営地下鉄5300形電車だ。

扉やモケットや吊り革は外され、無残な姿となったその様を凝視するには、心に来るものがあった。

幼い頃から見ていた、あの電車が、今は彼処に居る2両しか存在しない。まじまじと事実を強く投げ付けられたようだ。

様々な想いと言葉が胸を抉って身体を巡った。他の撮影者や人間はいない。初めて1:1で悪魔と対談したような気分だった。

宿った全てを吐き出す事はなく、身体を巡ったまま背中を向けて歩き出した。

込み上げるものがあった。

夏の夕方には雲が差し、そこに影はなかった。

 

 

2… これまでとこれから

5300形がいる、それが常態化していたのに、いつの間にか新型車しか見かけなくなったのはいつからか。

Tの列番を見るたびに5300形がやってきたのはいつまでか。

筆者は遠く関西から5300形の置き換え状況をながめていた。

馬鹿らしいが、生まれた街の路線というのは到底思い入れがあるもので、どうしても気になってしまうものだ。夏になれば、僅かな旅行の機会を狙って5300形や3400形などを見ていた。

 

そんな折、千葉に遥々帰ってきた筆者は、撮影を始める。

初めはスマホから。ひたすら止まっている電車を撮った。それがどんな車種であろうと。

特に当時、残り3本程度(そのうち5315Fはすぐの引退)であった5300形は、ダイヤ改正の影響もあってよく京成線に直通していた。隙があれば写真を撮っていた。

しかし、Twitterで見かけるような美しい写真には到底及ばないことを理解し、自分にできることを見失いかけていた。

新たには年末、コンデジを投入し、少しづつ、“撮り鉄”と言うものに近づいていった。

構図の組み方などをようやっと学び始めた。その頃には5320Fのみとなっていた。

そこから半年もした5月。旧型ではあるが一眼レフカメラを投入。ついに本格的な撮影が目前である。確実に成長していくのを肌で感じた筆者は、この行為を“楽しい”と感じていた頃である。

8月、大きく噂された廃車回送。筆者は半ば信じそうになっていたが、身構えた状態でXデーを待っていた。結果はなんの変わりもなく、その日も15Tに充当し、京成本線へと乗り入れていた。筆者もなんの変わりもなく撮影しに出掛けていた。

そこから、大きな変化もないまま時は去っていった。大きく冷え込んだ2月の頭、遂に余命宣告の期限を知った。本当の終わりがやってきたのだ。

何度も何度も廃車の噂が立ち、その度に打ち破ってきた同車も、遂に5500形の無線更新工事の終了に伴って余剰車となったのだ。

去る2/23、いつも通り馬込車両検修場に入庫した。

多くの人の見守りを受けながら、最後の日まで、お客さんを乗せて走り抜ける姿を冬晴れの空の下、見せてくれた。

筆者も、ギリギリまで見送りを行った。時間の許す限りまで。港区の地下にて、粘った。そうして想いを同業者に託し、一人帰路に着き、青砥からいつものライナーに乗り込んだ。

 

 

 

 

そこから3ヶ月が経った5月。馬込を訪れた。

ぽつんと、佇む姿を眺めた。

陸橋には誰もいない。ただ一人、ステンレス車とその真ん中に停まる白い車体を眺めた。シャッターを切ったのは8回。それだけで充分筆者には意味を成したのだ。往復運賃には目を瞑れるほどに。

さらに2週間。皆が運用離脱からすっかり興味をなくし、たまの構内入替が少々話題になる程度だった頃。

6/5

馬込車両基地構内にて出庫入替中の5500形が脱線。夕ラッシュ前だったこともあり、直通各線に影響が出た。

しかし入出庫に支障の出るほどの規模の大きなものであったため、例の陸橋などには多くのメディア関係者、鉄道ファンが詰めかけた。

 

 

そこで見つかってしまった。

5320がいつもの位置に居ない。

2両で無架線地帯に放置されている。

 

そうしてTwitterに投稿されたのは、トレーラーに載せられ、正門の奥に佇む5320-1の写真。

当該のツイートは拡散され、Twitterを扱う人間ならば誰にでも状況を理解することのできるほどあった。

 

何ともタダでは死らない悪魔である。

これは困ったもの、いろんな感情の溜息を吐いた。

 

  

 

 

 

そんな折、10日経った6/15。県民の日であった筆者はお家にてTwitterを弄っていた。

 

そんな日は線路上に残る5300形最後の2両が最後の線路走行をする機会であったのだ。

どうして撮れるものだと思っていなかった。情報を頂いてから急いで準備をして西馬込行きに乗り込む。

 

間に合うかはわからなかった。これほどまでに京成線の快速に焦ったさを感じたのは何度目だろう。

 

保険を掛けておかなければならなかった。絶対に抑えるべきシーンなのだ。偶々泉岳寺にいた友人に連絡を取り、先に移動してもらった。

 

筆者が道々目陸橋に到着したのは移動から僅かだったらしい。これ程までに自分を恨むとは。

友人含め2人のフォロワーの方がおり、やはりこの車両の持つ力を不思議に思いながら、そんなこの車両も線路上に残るのはこの2両であると考えただけでなんだか上の空だった。

 

投入したばかりのカメラを手に涙雨の馬込と5320-7.8を見送った。

 

運転台が取り払われた姿。

様々なものが取り払われた車両には強い違和感を抱いた。

本当にこれが最後なのか?

 


そうして6/18に繋がるのである。

あの車両を見て、撮って、乗って楽しんだ期間は、筆者はその車両生命の僅かでしかない。

 

しかしその僅かの間だけでも、この車両に乗ることが出来たことはとても幸せだったと思う。

あの頃、あの時、あの場所で。

見つめる先に。

3… 出逢ったひと

この車両を追う中で、必然的に人に出逢っていた。行く先々にいる同業者だとか、その中で永続的なお付き合いをさせていただいた人達だとか。

どうにもこの車両を追っていた人たちは、いい意味で頭のネジが外れたような人が多い。

そんな人達に恵まれながら、最後まで筆者も撮影者として一端に居れたことを有り難く思います。

本当にありがとうございました。

5300形以外にも、様々な場面で非常にお世話になったこと、誠に感謝しております。

 

しかしこれも、相手が5300形だったからこそなんだろうな、と考えると、本当にあの車両が持つ力はどうにも摩訶不思議なものである。

 

 

そしてこれからもどうぞ、よろしくお願い致します。

 

 

2023/10/13    KS芝

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